齋藤健一の交通安全講座

『ミスをすれば死ぬ!』

長いトンネル②

 引き続き、長いトンネルです。

 

 え~と、トンネル内は、簡単なようでいて、落下物があっても避ける空間的な余裕がないので、慎重に運転しましょう。

 

 前に、静岡県内の高速道路のトンネル内で、多重事故を目撃したからな。発生の瞬間ではなく、発生して大渋滞した後ですが。だから気を付けろよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

長いトンネル①

 私の家は神奈川県の湘南地域です。んで、泊まりでの出かけは出来ない。故に、自宅から日帰りでギリギリ帰宅可能な範囲内の長いトンネルしか撮影不可能でした。

 

 まあ、けっこうバラバラですが、お楽しみください。

 

 

 

 

 

 

 

 

短めトンネル⑤

 場所は不明だし~、トンネルの名前も不明で~す。

 

 てかさ、一々、運転しているんだから、トンネルの名前まで気にして走ってねーし。

 

 てか、危ないし。よそ見して、トンネルの入り口横に激突したらアホだしな。

 

 脇見運転はするなよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

短めトンネル①

 短めトンネルも、過去の俺は撮影して動画を保存していたのだ。だから、ここに掲載する。

 

 まあ、トンスルの中は、じゃなかった、トンネルの中は暗いので、明るい時間帯の外みたいにハッキリとは見えない。故に地面に何か落ちていても気づくのが遅れる。

 

 また、回避できる幅もないだろう。故に、より慎重に進んでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Braking Pad ファイナルシーズン

 私(齋藤健一)が実際にエンジンブレーキを効かせながら、長い長い下り坂を下った実演映像です。

 

 皆さんも、「エンジンブレーキって何?」なんていう無知は今すぐに止めてください。命に関わるから。社会的地位が高くて金持ちの人でも、エンジンブレーキのことを知らない人は大勢いるからなあ。よく今迄、運転してこられたよなあ。ずっと平地でしか運転しなかったのかなあ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Braking Pad サードシーズン

 引き続き、下り坂におけるエンジンブレーキの重要性を知らせる動画を掲載します。

 

 事故を起こしてから、エンジンブレーキの存在を知っても、もう遅いぞ。

 

 エンジンブレーキをかけても、何も消耗されない。つまり、何の金銭的な損も発生しないのだ。だから、積極的にエンジンブレーキを下り坂では使用すべきだと思うよ。よほど短い坂以外は。

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ老人は、肉体の限界が来ているのに運転を続けるのか

 ハーベード大学狂授 マイケル・サンデル著

 

人は、生きていく過程において、余程の長期間の引籠りでもない限り、社会との接点はある程度存続していく。

 

 そして、ずっと安定した仕事に就いている者、例えば役所等での一か所での雇用が続く平坦な人生だとしても、それは遠目から見れば平坦に見えても、細かく見れば、毎年、様々な異なる出来事が起きているので、必ずしも同一・均質ではないのである。

 

 そうやって、人は経験を積み重ねていくのである。無論、波乱万丈という熟語があるように、激動の人生を送る人物も、中にはいるだろう。

 

 しかし、長く生を積み重ねれば積み重ねるほど、人は生きることに慣れていく。経験が積み重ねられていくからだ。同じIQであっても、20歳の頃は、まだ社会のことを何も知らないヒヨコだったとしても、56歳の頃には、ある程度の経験はしているであろうから、何事にも、新鮮味は無くなる。半面、大してオロオロせずに、物事にあまり動じなくなるという面もある。

 

 そして、老人と言われる年齢は、昔の基準と現代の基準とでは異なるが、ここでは65歳以上、所謂【高齢者】の年齢より、老人と呼称することにする。

 

 65歳の者は、まだ自分を若いと思っている比率が高く、「自分のことを老人などと言うな!」と、牛丼屋で暴れる老害の如く激怒する輩もいるかもしれない。が、65歳は老人である。

 

 年金は老人に対して支給される制度である。故に、障碍者年金ではなく、通常の年金を受け取れる年齢ということは、すなわち老人なのである。年金を受給しているにも関わらず、自分のことを老人ではないと主張するのならば、なぜあなたは、年金を65歳から受け取っているのか?という疑問に、真摯に向き合って頂きたい。

 

 なぜ老人は、自らの老いに真剣に向き合わないのか?

 

 なぜ高齢者は、老人と言われると激怒するのか?

 

 その理由・原因は、【世の中が、若返りの商品で溢れているから】である。

 

 ここでいう商品とは、純粋な若返りクリームとか若返りエステ等の商品だけではなく、書籍や新聞、ネット記事の文章内の言葉も含む。

 

 テレビ番組を見れば、89歳なのに元気に農作業をしている老人を全国放送で流して、アホなタレントが「うわ~、お若いですねえ~!」などと、金の為に、嘘の驚嘆する演技をする。本音では、赤の他人のそんな老人など、どうでもよいと思っているくせに。

 

 そう、現代では、【老いる】ということは、罪のように、まるで犯罪行為と認識されているのだ。

 

 元気な89歳は称賛されるが、67歳でヨボヨボになっている人に対しては、なぜか侮蔑にも似た視線を浴びせるのだ。まるで、六十代で死ぬことが凶悪犯罪であるかのような目で。

 

 通常、89歳という年齢は、男性の平均寿命を遥かに超えて、かなりの割合の人は、もう既に死亡している年齢である。なのにもかかわらず、その89歳の人物は元気に農作業をしているのである。山奥で、或いは漁村で、誰の手助けも借りずに、たった一人で元気に軽トラを運転し、街と山奥とを往復し、鋼の肉体、鉄人の如く、黙々と農作業なり昆布の収穫作業なりをしているのである。一人でボートをこいで、礼文島で、80代の男性が、黙々と元気に昆布を収穫する様子を、私は過去にテレビで見たのである。

 

 テレビでは、歳をとっても元気に活躍する老人が正義である。大して、68歳とか63歳で死んだ有名人などは、早過ぎる死などと形容され、まるで犯罪者扱いなのである。

 

 勿論、テレビ番組の構成スタッフ達も、出演タレント達も、その六十代で病死した有名人を犯罪者扱いなどはしていない。早過ぎる死と形容し発言するのは、その六十代で死んだ人が、皆に愛されていたからであろう。表面的であれ、偽善的であれ、とりあえずは皆に知られて、ワイドショーで枠を取って追悼するに値する人物だったということであろう。

 

 だが、六十代で死んだ人を、早過ぎる死などと形容することは、生命に対する冒涜ではなかろうか?

 

 通常、医学的には、人間の肉体は、50年が耐用年数らしい。50年を過ぎれば、大体、体のどこかに不調が出てくる。どれだけトレーニングをしようが、どれだけ摂取する食べ物に気を付けようが、ほぼ確実に、どこかが悪くなってくる。

 

 現代人は、医学・科学・環境面・衛生面・食料供給の発達のお陰で、寿命が著しく長くなっているだけである。長生きしている者達の実態は、殆どの高齢者が、薬塗れなのである。

 

 その証拠に、日本人の平均年齢が上がれば上がる程、社会保障費も上昇の一途なのである。それはすなわち、医療費の増大なのである。人間、長く歳を重ねれば重ねる程、体に不調が続出するのである。

 

 しかし、それは本来、正しい生命としての姿なのである。

 

 猫も、若い時は、自分の身長の二倍以上ある高い場所にも、助走無しで飛び移れたが、老猫になれば、最早、少しのジャンプも出来ないのである。しかし、それは普通の生の現象なのである。当たり前の光景なのだ。それは異常でも何でもない。生命として、当たり前の事象なのである。

 

 それで、話を戻すが、果たして六十代で死んだ人は、【早過ぎる死】と呼んで良いものなのだろうか?

 

 髪は白髪染め、皮膚は美容整形やエステや化粧品、服装は若々しい色の服、オシャレに着飾れば、外見は若く演出出来る。が、それは本来の姿ではない。実情は、確実に老いているのである。

 

 だから、七十代の女性が、必死になって、いくら若々しくあろうと努力しても、実際の二十歳の女の若々しさには、絶対に勝てないのである。若々しく偽装した人物と、どこからどう見ても若い最中真っただ中の人物とでは、若さの比較において勝負にならないのである。

 

 これは、他人と比べるから、高齢女性は激怒するのである。故に、自分の若い頃と、歳をとった自分とを比較すればいいのである。それなら、自分と自分なので、怒鳴ることもなかろう。自分の若い頃の写真と比較すれば、確実に老いているのが認識できよう。

 

 それで、私は、六十代で死んだ人を【早過ぎる死】と形容すべきではないと思う。

 

 六十数歳まで生きたのなら、それはもう、人間という生命体において、十分生きたのである。それなのに、馬鹿なタレントが、テレビの演出家が、その人物のことを【早過ぎる死】などと呼ぶことは、その人物に対して失礼に当たると思っている。

 

 まるで、その人が、まだまだ元気に生きられた筈なのに、真面目に生きなかったから、六十代で死ぬことになったのだ・・・というような印象を与えかねない。或いは、既にそのような毒されている。視聴者全員が、そう刷り込まれているのだ。

 

 六十代で死んだ人が【早過ぎる死】なのではない。89歳で元気に生活している老人が【長生き過ぎる生】というだけである。

 

 比較対象がおかしいのである。同じ人間という種族であれど、これは全くの別物と分類してよい比較なのである。そもそも比較すること自体が間違いなのだ。

 

 この場合の【凄い長寿】というのは、憧れるという意味のみではない。寧ろ、人によっては、真逆の恐怖の対象ともなる。なぜなら、早くあの世に行きたい人にとり、89歳になっても、まだ体のどこにも、生命を奪う不調が発生しないということは、自死したり誰かに殺害されない限りは、この先もまだまだ生き続けねばならないということになり、それは、とっととあの世に行きたい人にとっては、真の恐怖でしかないのである。

 

 多くの比率の他人は、もう死ねたのに、自分の寿命はまだまだ続くとなれば、これはもう、恐怖以外の何ものでもないのである。

 

 世の中は、六十代で死ぬことを、許してくれない。

 

 若返りの商品で溢れ、七十代でも人生まだまだこれからなどという文章を頻繁に目にし、八十代で元気に大活躍する老人が驚嘆され崇められ褒められている現代、100歳以上が10万人近くに達した時代、そして日本最長寿の115歳の老婆が、横断幕を掲げられて【長寿おめでとうございます!】などと大々的に取り上げられている現代において、六十代で死ぬことを、世間は【早過ぎる死】などと呼び、許してくれないのである。

 

 六十代で死んだ事実を、世間は認めてくれないのである。

 

 実際には、必死になって生きて、六十代で寿命が来たのかもしれないのに、【早過ぎる死】などと形容し、けっして、その一生、その生涯を、褒めてくれないのである。

 

 だが、実態は、人はそれぞれ異なる。同じ大和民族の血しか入っていない者同士でも、実際にはみんなバラバラなのである。太っている大和民族の人もいれば、痩せている大和民族の人もいるのである。これは漢民族もそうだし、朝鮮民族もそうなのである。長命な家系で90歳になっても店の調理場に立って元気に働いている人もいる一方、特に体に悪い生活をしていたわけではないが、六十代前半で、もうヨボヨボになってしまっている人もいるのである。

 

 ここまで、高齢者の車の運転と、【歳をとることは恥さらし!早死には許さない!】というような日本の現状のことは、まるで連結しないような感じたであろう。

 

 だが、見事に連結していると、私は看破している。

 

 普通ならば、高齢者が、もう車をまともに運転できない状態なのに、車の運転を続ける理由は、それはつまり、車がないとスーパーに買い物に行けないからとか、病院に行けない、すなわち生活できないから、と答えるのであろう。

 

 だが、果たしてそうだろうか?本当に、車がなかった場合、その高齢者・老人は、餓死するのだろうか?割と近日中に死亡するのだろうか?

 

 ということは、死亡事故を起こした老人ドライバーは、その死亡事故を起こした瞬間より、もう車の運転は出来ていないと思うのだが、ならばその高齢ドライバーは、その後、家に備蓄していた食料が尽きたら、餓死したのだろうか?

 

 していない。ちゃんと裁判にもヨボヨボの状態で、或いは車椅子の状態で、出席しているのである。それはつまり、その老人・高齢者が車の運転を放棄した後であっても、その人物が生き続けていたことを意味する。つまり、死亡事故以前に、その老人が車の運転をせずとも、生きられたということだ。

 

 何らかの手段で生きる術があったということだ。

 

 具体例を挙げれば、池袋にて2019年にプリウスを暴走させて若い母子を死亡させた飯塚幸三は、事故当時87歳であった。勿論、事故直後から車の運転はしていなかったと思うが、しっかりとその後も生き続けている。そして90歳で刑務所に収監され、禁固五年の判決を受けて収監中だが、まだ死去したという報道はないので、まだ生きていると思われる。

 

 その他の死亡事故を起こした老人も、裁判にしっかりと出席しているので、死亡事故を起こしてから数か月経過しようが、半年経過しようが、一年経過しようが、ちゃんと生き続けているのである。勿論、裁判中に死去した老人もいるにはいるが、それは車の免許を取り上げられて生きる術を失ったからではなく、単なる寿命なのである。

 

 大体、日本人の大部分は都市部に住んでいる。東京23区のような超巨大都市ではなくとも、そこそこの規模の街ならば、車がなくとも、余裕で生存する術はあるのである。

 

 また、田舎であっても、やはり生きる術はあるのである。だが、高齢者は頑固なので、車がない生活を選択しないだけである。

 

 試しに、車がある状態で、車がないものと仮定し、つまり車の使用を一時的に禁止して生活してみて欲しい。二週間なり三週間なり。その期間に車をどうしても使う場合は、誰かが車に轢かれて危篤状態で一刻も早く病院に駆けつけねばならない等の、本当に危機的な状況のみに限定すべきだ。だが、そのような緊急事態は滅多に起こらないので、普通に二週間、三週間は過ぎるであろう。

 

 その間に、車がない状態の生活というのを【探す】べきだ。

 

 そもそも、車がない生活を想像すらもしていないので、探すことすらしていない。探すとはつまり、調べるということだ。どういう手段があるのか、食材を手に入れる手段とか、バスの時刻表とか、役所や都道府県庁に訊きに行くとか、その程度のこともしていないのだ。

 

 探せば、見えてくる景色があるものだ。

 

 そして、いつまでも若いのが当たり前と考えないことだ。年老いるのが通常なのである。〔若々しくいよう!〕という世の中に溢れる掛け声もつまり、業者が金儲けの為に、老人を扇動しているに過ぎない。しかしそれらの扇動は、強制的なものではない。自分が無視すればいいだけの話だ。

 

 そして、長生きするのが必ずしも良いことでもないし、正義でもない。テレビに映る89歳が元気溌剌として農作業をして金を稼いでいるとしても、あなたはその人ではない。あなたはまだ71歳なのにヨボヨボになっているとしたら、それは現実として受け止めるべきだ。

 

 だから、他人と比較するのは止めよう。自分の人生は自分の人生なのである。

 

 もう無理なら、大人しく免許を自主返納すべきだ。死亡事故を起こしてから強制的に免許を取り上げられて、全国報道で顔と名前を晒される前に、賢い判断をすべきだ。

 

 人間、辞め時が最も難しいのかもしれないが、免許を返納せねばならない時は、いつか必ず来る。今迄元気だったのに、いきなり脳出血でポックリと即死するようなケースを除いて。

 

 人の老いは、ジワジワとやってくるものだから。

なぜDQNは、他のDQNの失敗から学べないのか

 ハーベード大学・哲学科狂授 マイケル・サンダル著

 

 さて、ここで一つの難題・疑問がある。

 

 なぜ、DQNは、他のDQNが犯した間違いから、何も学べないのか?という点である。

 

 これは何も、有名人のみではなく、無名人もそうであり、社会的地位が低い者だけではなく、社会的地位が高い者も、また同様なのである。

 

 医者ならば、医学試験に合格した程の秀才であり、その知能は、普通一般の凡人よりも遥かに高いであろうことが推察される。

 

 が、その医者が、ポルシェで暴走して死亡事故を起こしたり、てんかん発作を抑える薬を飲まない状態(自分が飲んでいないと認識している状態)で車を運転し、運転中に発作が起きて、暴走し、死亡事故を起こしているのである。

 

 無論、不良・チンピラと呼ばれる、所謂【DQN】も、同様の奇行を頻繁に行うことは、全国共通の現象として、広く知られている。

 

 なぜ、彼ら・彼女らは、これ程、日々、他人が起こした同様の悲惨なニュースを見聞きしているのに、自分も同じ轍を踏むのだろうか?

 

 回避しようと思えば容易に回避出来る筈なのだが、彼らは同じ暗黒の道を進むのである。

 

 例えば飲酒運転をすれば、捕まる。そして飲酒運転の結果、悲惨な結末を迎えるということは、日々、新聞のニュースなり、ネットニュースなり、テレビ報道なりで、見聞きしている筈。なのに、なぜ、昭和ならともかく、これほど厳格に飲酒運転が取り締まられ、酒の提供者も罰せられ、自らも地獄に落ちる可能性の極めて高い愚行であるにも関わらず、彼らは飲酒運転をするのか?

 

 それは、ひとえに、【自分には悲惨な事故は絶対に降りかからない】という、根拠のない、謎の空論を勝手に信じているからである。

 

 ニュースで報道されてしまった犯罪者達も、まさか自分が、それまでに見聞きしてきた悲惨な飲酒運転事故の加害者になるとは思いもしなかったのだ。その事故の直前まで、まさか自分が犯罪者となり、刑務所に長期収監されるとは、思いもよらなかったのだ。

 

 流石のDQNも、本気で同乗者及び自分が死んだり障碍者になると確信していたのなら、時速120キロでカーブに突っ込むなどという愚行はしない。

 

 ナイフを首に思いっきり刺せば、出血多量で死ぬ。それは、DQNであれ、本能的に感じ取っている。首の中の医学的知識が無くとも、尖ったものが首に刺されば、死ぬ可能性は極めて高いということは、本能的に存じているのだ。

 

 しかし、車に関しては、事故時に物凄い衝撃が加わった場合、ほぼ確実に死んだり腕や手足を切断するに至るのだが、車に関しては、DQNは、オラオラという感じで、突っ込んでしまうのだ。

 

 10mの高さから、下のコンクリートに飛び降りれば、タダでは済まない。死ぬ可能性も高い。上手く着地しても、骨折は免れない。それはDQNでも理解している。だから、自殺志願者以外では、滅多なことでは、落下するような場所には、流石のDQNも上らない。行かない。

 

 だが、車で加速して激突すれば、余裕で40mの高さより落下し、下のコンクリートの地面にぶつかるのと同様の衝撃を受けるという事実があったとしても、DQNは、車に関しては、それほどの危機的な意識は抱かないのだ。

 

 それはなぜか?恐らく、自動車なる発明品は、発明されてほんの100年ちょっとしか経過していないからであろう。

 

 それまで、人は、縦方向の落下による衝撃は、何万年という歳月の積み重ねにより、遺伝子に、落下による衝撃は物凄く、容易に人体が壊れるぞ!という情報を、遺伝子の中に、少しずつ、だが着実に、組み込んできた。

 

 が、横方向に素早く移動する術は、近代まで、人類にはなかった。モンゴル軍の騎馬軍団などは、横方向に素早く移動出来たが、所詮、馬である。それに、落馬することはあれど、それは下への衝撃である。純粋な横方向への衝撃ではない。

 

 故に、近代、つまり自動車が発明されるまでは、人類には、横方向への強い衝撃を経験する術がなかった。地表は凸凹しており、起伏に富んでいるので、縦方向への落下による骨折等の経験値は蓄積されてきたが、横方向への激突・衝撃による経験値は、ほぼ蓄積されなかったのだ。

 

 故に、遺伝子の情報に頼る確率の多いDQNは、その頼りの綱の遺伝子内に、横方向への衝撃への警戒が組み込まれていないので、車による横方向への高速移動に関しては、舐めてかかるのである。

 

 いくら外科医が高収入で知能も高いといっても、所詮、医学という一分野に秀でているだけである。ありとあらゆる分野に精通している訳ではなく、一点特化型の人間である。だから、野球のイチローが、野球に関しては天才だとしても、美術に関しては素人のように、外科医もまた、専門外の分野に関しては、素人なのである。

 

 故に、数千万円のポルシェを所有する外科医だとしても、こと車の運転に関しては、底辺DQNと同様の愚行を犯してしまう確率も、一定度合い存在する。

 

 更に言えば、DQNは、車に拘る確率が高い。経済効率のみを追求すれば、ルーミーとかシエンタのようなファミリーカーを所有すれば、室内は広いし、人数も大勢乗せられるし、荷物も沢山載せられる。更に燃費も良い。故に、損得勘定のみを追求すれば、庶民的なファミリーカーを所有するのが最も経済的という結論に至る。

 

 また、一人暮らしならば、ミライースのような、燃費の良い軽自動車で十分という結論に至る。

 

 だが、DQNという人種は、金欠のくせに、古い高級セダンとか、古い高級ミニバンを買い求める確率が極めて高い。

 

 ビッグモーターが悪徳な超長期ローンを客に組ませていたことが発覚し、大問題になったことがあった。それは、年利9.9%程度の暴力的な金利で、10年ローンで、中古のアルファードをDQNに売っていたというケースが多々あったからだ。

 

 確かにそれは、悪徳企業である。しかし、なにも拳銃を客の頭に突き付けて、マフィアやギャングみたいに無理やり条件を飲ませた訳ではないのだ。客の方も、計算も出来ないのに、そして金欠のくせに、分不相応な高級ミニバンを買い求めるのがいけないのだ。

 

 最初から、中古の120万円の程度の良いルーミーなどを買い求めておればよいのに、無理をして、480万円の中古のアルファードなんかを欲しがるから、悪徳業者の餌食になるのだ。そして、10年先の総支払額も計算できない知能なのに、自らの馬鹿さ加減も自覚せず、アホみたいに(実際にアホなのだが)自分の社会的地位・経済状況に相応しくない車種を求めるから、借金地獄に陥る。

 

 このように、DQNは【馬鹿】なのである。

 

 通常、人のことを馬鹿と呼んだり、書いたりすれば、相手は激怒するかもしれない。が、本音で、本当に馬鹿な場合も多々ある。

 

 故に、ここは一度、自らを馬鹿だと認識してみよう。

 

 他人に馬鹿と言われると激怒するというのなら、他人は介さずに、自ら、自分は馬鹿だと宣言し、認識してみよう。そうすれば、自分が自分のことを馬鹿だと言っているのだから、怒る必要もない。自分で自分に激怒する人は、あまりいないから。

 

 そう、自分は馬鹿だと認識するところから、全ては始まるのだ。

 

 かくいう私も、自分で自分のことを信用していない。それは記憶力も悪いし、知能も低いと認識しているからだ。

 

 故に、ゲーム(プレステ4やプレステ5のゲームの、主にRPG作品)をしていても、度々馬鹿なことをしでかす。何度も何度も自分自身で馬鹿な行為を繰り返してきた結果、私は自分で自分を信用しないようになった。

 

 例えば、自分の意思のみの決断で、ここをこうして・・・と決めても、その決断に関しては、また別の自分が、その行為の過程及び結果を疑問視しているのである。

 

 果たして、この決断及び行為は、後々、私の為になるのだろうか?と。

 

 そう、だから、失敗を繰り返さない為には、まずは自分で自分のことを【馬鹿】だと認識すべきなのである。

 

 馬鹿だからこそ、飲酒運転を繰り返し、挙句の果てに、死亡ひき逃げ事故を起こすのである。それは馬鹿以外の、一体何なのだろうか?馬鹿以外には当てはまらない。それこそまさしく、【馬鹿】という形容が日本一、いや世界一似合う馬鹿なのである。

 

 自分で自分のことを【馬鹿】だと認識出来た時、初めて、DQNから解放され、無謀な愚行の連鎖から解放されるのである。

Braking Pad セカンドシーズン

 私自身で、箱根の、え~と、たしか静岡県の三島市の方だったかな?そっちへと下る、長い下り坂を、エンジンブレーキをしっかりと使って、下って行きました。

 

 皆さんも、このような長い長い下り坂の時は、安い車だろうが、高級車だろうが、軽トラだろうが、ミニバンだろうが、スポーツカーだろうが、フェラーリだろうが、コンパクトカーだろうが、トラックだろうが、全ての自動車は、エンジンブレーキを使用してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Braking Padとは?

  2022年の10月、静岡県小山町の県道〔ふじあざみライン〕で、観光バスが横転し、乗客一名が死亡し、二十八名が重軽傷を負った事故がありました。

 

 この事故で、過失致死傷に問われたのは、27歳男性のバス運転士でした。

 

 この人は、別に悪人ではありませんでした。悪意があって、事故を起こした訳ではありませんでした。寧ろ、善人だったのだろう。

 

 この男性運転士は、裁判の供述で、長くてクネクネして狭い下り坂を、エンジンブレーキが効きにくくなる四足ギアで下った理由を、こう述べた。

 

 「低速ギアではバスが揺れる。乗客の乗り心地を考えたから」

 

 で、エンジンブレーキを使わなかった結果、カーブが続く急勾配の下り坂でフットブレーキを多用したので、ブレーキが過熱し、効きにくくなった。

 

 所謂〔フェード現象〕です。これは、長い下り坂で、エンジンブレーキを使わずに、フットブレーキのみで下って行った結果、たしか、ブレーキフルード内に気泡が発生して、フットブレーキが使えなくなる現象です。

 

 いくら最新技術満載の最近製造された車だろうが、最新の高級車だろうが、現状、まだ、この現象の発生を抑止することは不可能だ。

 

 故に、このフェード現象の発生を阻止する為には、素直にエンジンブレーキを使うしかない。

 

 エンジンブレーキはご存じかな?たまに、車の運転免許証を所持しているのに、エンジンブレーキって何?というアホがいるのだ。まあ、VWに乗っている人でも、タイヤの溝がなくなるまで、ツルツルになるまで乗り続けるようなアホがいるからな。それは、事故でフォルクスワーゲンの車が横転して、タイヤが、ニュース映像に映って、溝が全くない、ツルツルの状態だったから、ネットで話題になったのだ。

 

 要するに、外車に乗れるようなマダムとか金持ちでも、車に関する基礎的な知識の欠片もなく、日々、その車を運転しているケースが多々ある、ということです。

 

 なので、クラウンとかBMW5シリーズとかに乗っている金持ちでも、「エンジンブレーキって何かな?」というアホがいるかもしれないのだ。

 

 エンジンブレーキとは、長い下り坂で使用するものです。短い距離の下り坂なら、別に使わなくてもいいと思うが。しかし、地元の人間以外、その下り坂が、あとどのくらい続くのかなんて、知らないのだから、とりあえず、見知らぬ土地の下り坂に差し掛かったら、エンジンブレーキを使うのが良いのではないか。

 

 私の車はトヨタのルーミーです。んで、ルーミーのエンジンブレーキは、二種類あったな、たしか。ほんの少しのエンジンブレーキがかかるのが、Sのポジションだったかな。んで、最大のエンジンブレーキがかかるのが、Bのポジションだったかな。

 

 まあ、箱根の長い下り坂では、いつもBのポジションで下っています。エンジンブレーキを使用しても、ブレーキランプは点きません。が、それでいいんです。みんな知っているから。知らないあなたは、アホです。下り坂ではエンジンブレーキを使用する、これ、常識ですから。知らないあなたは非常識です。

 

 まあ、あとは自主的にエンジンブレーキについて調べてください。私の拙い文章で説明するよりも、積極的に、あなた自ら調べた方がいいでしょ!

 

 

 ☆実際の富士あざみラインを走行したバスの様子。長い下り坂なのだから、フットブレーキのみならず、必ずエンジンブレーキを使用すべきだ!これは、なにもバスみたいな大質量の車のみならず、軽自動車でも普通乗用車でも、みんなそうです。

 

 ☆ルーミーの説明書に書かれているシフトポジションのページ。Sは【坂道走行】と書かれていて、Bは【急な下り坂走行】と書かれている。

 

 要するに、少々の下り坂ならSでよいが、急な下り坂の場合は、必ずBのシフトポジションに切り替えて、エンジンブレーキを使用せよ!ということです。