齋藤健一の交通安全講座

『ミスをすれば死ぬ!』

なぜDQNは、他のDQNの失敗から学べないのか

 ハーベード大学・哲学科狂授 マイケル・サンダル著

 

 さて、ここで一つの難題・疑問がある。

 

 なぜ、DQNは、他のDQNが犯した間違いから、何も学べないのか?という点である。

 

 これは何も、有名人のみではなく、無名人もそうであり、社会的地位が低い者だけではなく、社会的地位が高い者も、また同様なのである。

 

 医者ならば、医学試験に合格した程の秀才であり、その知能は、普通一般の凡人よりも遥かに高いであろうことが推察される。

 

 が、その医者が、ポルシェで暴走して死亡事故を起こしたり、てんかん発作を抑える薬を飲まない状態(自分が飲んでいないと認識している状態)で車を運転し、運転中に発作が起きて、暴走し、死亡事故を起こしているのである。

 

 無論、不良・チンピラと呼ばれる、所謂【DQN】も、同様の奇行を頻繁に行うことは、全国共通の現象として、広く知られている。

 

 なぜ、彼ら・彼女らは、これ程、日々、他人が起こした同様の悲惨なニュースを見聞きしているのに、自分も同じ轍を踏むのだろうか?

 

 回避しようと思えば容易に回避出来る筈なのだが、彼らは同じ暗黒の道を進むのである。

 

 例えば飲酒運転をすれば、捕まる。そして飲酒運転の結果、悲惨な結末を迎えるということは、日々、新聞のニュースなり、ネットニュースなり、テレビ報道なりで、見聞きしている筈。なのに、なぜ、昭和ならともかく、これほど厳格に飲酒運転が取り締まられ、酒の提供者も罰せられ、自らも地獄に落ちる可能性の極めて高い愚行であるにも関わらず、彼らは飲酒運転をするのか?

 

 それは、ひとえに、【自分には悲惨な事故は絶対に降りかからない】という、根拠のない、謎の空論を勝手に信じているからである。

 

 ニュースで報道されてしまった犯罪者達も、まさか自分が、それまでに見聞きしてきた悲惨な飲酒運転事故の加害者になるとは思いもしなかったのだ。その事故の直前まで、まさか自分が犯罪者となり、刑務所に長期収監されるとは、思いもよらなかったのだ。

 

 流石のDQNも、本気で同乗者及び自分が死んだり障碍者になると確信していたのなら、時速120キロでカーブに突っ込むなどという愚行はしない。

 

 ナイフを首に思いっきり刺せば、出血多量で死ぬ。それは、DQNであれ、本能的に感じ取っている。首の中の医学的知識が無くとも、尖ったものが首に刺されば、死ぬ可能性は極めて高いということは、本能的に存じているのだ。

 

 しかし、車に関しては、事故時に物凄い衝撃が加わった場合、ほぼ確実に死んだり腕や手足を切断するに至るのだが、車に関しては、DQNは、オラオラという感じで、突っ込んでしまうのだ。

 

 10mの高さから、下のコンクリートに飛び降りれば、タダでは済まない。死ぬ可能性も高い。上手く着地しても、骨折は免れない。それはDQNでも理解している。だから、自殺志願者以外では、滅多なことでは、落下するような場所には、流石のDQNも上らない。行かない。

 

 だが、車で加速して激突すれば、余裕で40mの高さより落下し、下のコンクリートの地面にぶつかるのと同様の衝撃を受けるという事実があったとしても、DQNは、車に関しては、それほどの危機的な意識は抱かないのだ。

 

 それはなぜか?恐らく、自動車なる発明品は、発明されてほんの100年ちょっとしか経過していないからであろう。

 

 それまで、人は、縦方向の落下による衝撃は、何万年という歳月の積み重ねにより、遺伝子に、落下による衝撃は物凄く、容易に人体が壊れるぞ!という情報を、遺伝子の中に、少しずつ、だが着実に、組み込んできた。

 

 が、横方向に素早く移動する術は、近代まで、人類にはなかった。モンゴル軍の騎馬軍団などは、横方向に素早く移動出来たが、所詮、馬である。それに、落馬することはあれど、それは下への衝撃である。純粋な横方向への衝撃ではない。

 

 故に、近代、つまり自動車が発明されるまでは、人類には、横方向への強い衝撃を経験する術がなかった。地表は凸凹しており、起伏に富んでいるので、縦方向への落下による骨折等の経験値は蓄積されてきたが、横方向への激突・衝撃による経験値は、ほぼ蓄積されなかったのだ。

 

 故に、遺伝子の情報に頼る確率の多いDQNは、その頼りの綱の遺伝子内に、横方向への衝撃への警戒が組み込まれていないので、車による横方向への高速移動に関しては、舐めてかかるのである。

 

 いくら外科医が高収入で知能も高いといっても、所詮、医学という一分野に秀でているだけである。ありとあらゆる分野に精通している訳ではなく、一点特化型の人間である。だから、野球のイチローが、野球に関しては天才だとしても、美術に関しては素人のように、外科医もまた、専門外の分野に関しては、素人なのである。

 

 故に、数千万円のポルシェを所有する外科医だとしても、こと車の運転に関しては、底辺DQNと同様の愚行を犯してしまう確率も、一定度合い存在する。

 

 更に言えば、DQNは、車に拘る確率が高い。経済効率のみを追求すれば、ルーミーとかシエンタのようなファミリーカーを所有すれば、室内は広いし、人数も大勢乗せられるし、荷物も沢山載せられる。更に燃費も良い。故に、損得勘定のみを追求すれば、庶民的なファミリーカーを所有するのが最も経済的という結論に至る。

 

 また、一人暮らしならば、ミライースのような、燃費の良い軽自動車で十分という結論に至る。

 

 だが、DQNという人種は、金欠のくせに、古い高級セダンとか、古い高級ミニバンを買い求める確率が極めて高い。

 

 ビッグモーターが悪徳な超長期ローンを客に組ませていたことが発覚し、大問題になったことがあった。それは、年利9.9%程度の暴力的な金利で、10年ローンで、中古のアルファードをDQNに売っていたというケースが多々あったからだ。

 

 確かにそれは、悪徳企業である。しかし、なにも拳銃を客の頭に突き付けて、マフィアやギャングみたいに無理やり条件を飲ませた訳ではないのだ。客の方も、計算も出来ないのに、そして金欠のくせに、分不相応な高級ミニバンを買い求めるのがいけないのだ。

 

 最初から、中古の120万円の程度の良いルーミーなどを買い求めておればよいのに、無理をして、480万円の中古のアルファードなんかを欲しがるから、悪徳業者の餌食になるのだ。そして、10年先の総支払額も計算できない知能なのに、自らの馬鹿さ加減も自覚せず、アホみたいに(実際にアホなのだが)自分の社会的地位・経済状況に相応しくない車種を求めるから、借金地獄に陥る。

 

 このように、DQNは【馬鹿】なのである。

 

 通常、人のことを馬鹿と呼んだり、書いたりすれば、相手は激怒するかもしれない。が、本音で、本当に馬鹿な場合も多々ある。

 

 故に、ここは一度、自らを馬鹿だと認識してみよう。

 

 他人に馬鹿と言われると激怒するというのなら、他人は介さずに、自ら、自分は馬鹿だと宣言し、認識してみよう。そうすれば、自分が自分のことを馬鹿だと言っているのだから、怒る必要もない。自分で自分に激怒する人は、あまりいないから。

 

 そう、自分は馬鹿だと認識するところから、全ては始まるのだ。

 

 かくいう私も、自分で自分のことを信用していない。それは記憶力も悪いし、知能も低いと認識しているからだ。

 

 故に、ゲーム(プレステ4やプレステ5のゲームの、主にRPG作品)をしていても、度々馬鹿なことをしでかす。何度も何度も自分自身で馬鹿な行為を繰り返してきた結果、私は自分で自分を信用しないようになった。

 

 例えば、自分の意思のみの決断で、ここをこうして・・・と決めても、その決断に関しては、また別の自分が、その行為の過程及び結果を疑問視しているのである。

 

 果たして、この決断及び行為は、後々、私の為になるのだろうか?と。

 

 そう、だから、失敗を繰り返さない為には、まずは自分で自分のことを【馬鹿】だと認識すべきなのである。

 

 馬鹿だからこそ、飲酒運転を繰り返し、挙句の果てに、死亡ひき逃げ事故を起こすのである。それは馬鹿以外の、一体何なのだろうか?馬鹿以外には当てはまらない。それこそまさしく、【馬鹿】という形容が日本一、いや世界一似合う馬鹿なのである。

 

 自分で自分のことを【馬鹿】だと認識出来た時、初めて、DQNから解放され、無謀な愚行の連鎖から解放されるのである。